鹿苑寺(金閣寺)

金閣寺特集


金閣寺特集

一面に金箔を押した、世界でも希な建造物・金閣。その煌びやかな外観と、観光地として余りにも高い知名度のせいか、訪れる前から派手な印象を抱く人も少なくないかもしれません。
金閣寺という名前が有名ですが、正式名称は鹿苑寺(ろくおんんじ)と言います。
金閣と言われているのは舎利殿のことで、三つの層ごとに造りが違います。二層・三層は漆の上から純金の箔が貼られています。
金閣前の鏡湖池(きょうこち)に映る「逆さ金閣」もまた美しい。

 

他の見どころは、室町時代の代表的な様式で作られている庭園、数寄屋造りの茶席「夕佳亭(せっかてい)」などがあります。



金閣寺エピソード

金閣寺が舞台となる小説 三島由紀夫の「金閣寺」と水上勉の「金閣炎上」

昭和25年7月2日未明、国宝であった金閣は鹿苑寺の徒弟の放火によって炎上、焼失しました。犯人はその動機を「金閣寺の美しさに嫉妬した」と語っていたそうです。

この金閣寺の放火事件をモチーフにしている事で、よく比較される2つの小説。
事件の6年後に書いた三島由紀夫はこの犯人の青年僧を語り口に、その異常な精神状態を華麗な文体で綴りながら「美」とは何かを追求し、一方で水上勉は、青年僧と同郷で境遇が似ており、顔見知りでもあった彼への鎮魂の思いを作中に滲ませています。

放火事件が起こった当時の住職は、再建勧進のため托鉢行に出ました。それに対し多くの人が浄財を納めたといいます。 新しい金閣は昭和30年に完成し、その後も度々修復され、焼失前のものより創建時の姿に近くなったといいます。

他に金閣寺が登場する小説には大佛次郎(おおらぎじろう)の「帰郷」があり、北原白秋は金閣寺庭園を「金閣寺み冬さむけくふる雨あしの池の上にして」と詠っています。

息子・義持に解体された義満の極楽浄土

金閣寺(北山鹿苑寺)は1397年に足利義満が邸宅・北山殿として造営し、政治や外交の場として利用されました。
ひときわ黄金色に輝く金閣を目の当たりにした客人達は、さぞ目を丸くし圧倒させられた事でしょう。初層に貴族好みの寝殿造り、二層目に武家造、最上層に仏殿造を置いた金閣は、公武の頂点に立った者の権威の象徴でした。
出家した義満はより自由な身分となり、寺社勢力を支配する地位をも得ようとしたと言われています。

そんな栄光の陰で、義満と息子の義持の間には確執があったようです。
1394年に義満はまだ9歳だった義持に将軍職を譲って出家しました。しかしながら実権は握ったままで、義持は名ばかりの将軍でした。
また、愛妾の子・義嗣(よしつぐ)を義満が偏愛していた事で、その不満は更に募っていたようです。
義満が北山殿に後小松天皇を迎え盛大な宴を催した際、当時15歳だった義嗣が接待役を務めました。義嗣が天皇より盃を受けた事で、「義満の後継者は義嗣」という声も世間に広まったようです。義持にとっては屈辱的な出来事だったでしょう。

その2ヶ月後に義満が51歳で急逝した後、義持の命で北山殿は建物の大半が解体されてしまいます。残った金閣と堂等は禅刹として南禅寺や建仁寺等の諸寺に移築されました。
後に謀反を企てた義嗣は義持に討たれ、移築された建物は応仁の乱等で焼失し、残されたのは金閣のみとなりました。

創建当時の金閣寺はどんな感じ?

有名な金閣は、義満が出家後に舎利殿として建立したもので、義満が暮らした北山殿(金閣寺)には他にも天鏡閣と呼ばれた二階建ての会所や紫宸殿、護摩堂、公卿間、泉殿、七仏薬師像を祀る看雪亭といった多くの殿舎が建ち並んでいました。
その敷地は東に紙屋川、西に衣笠山、南は現在駐車場となっている辺りまで至ったそうです。

相国寺の第42世住持・瑞渓周鳳は日記「臥雲日件録」に、楼閣は夜空の星の様に東西南北に点在し、その華やかさは天より降り地より湧き出たようであったと残しています。また、義満の家臣のひとりは「極楽浄土に勝る美しさ」と称えたそうです。
また、金閣の北側にあったという天鏡閣は金閣と橋で結ばれており、そこを渡る時には虚空を歩いているような心地がしたといいます。

その絢爛豪華さは、当時の京の民が大飢饉に苦しみ、鴨川が死体で埋まる程の地獄絵図の様な光景とは全く対照的だったのかもしれません。

一般人も金閣に入れた!?

東京国立博物館が所蔵する「洛中洛外図 東博模本」には、鹿苑寺の池の上で船遊びに興じる一般の人々が描かれています。
1839年の3月に鹿苑寺を訪れた木村啓胤(けいいん)が残した『たびまくら』や津村淙庵の『譚海(たんかい)』によると、この頃には拝観のためのチケット(切手)が販売され、更に「万人講」という団体割引制度もあったようです。
この観覧料は、金閣その他の堂舎の修繕、維持にあてられていました。

明治27(1894)年の頃は、拝観者は方丈へ向かい、それから橋を渡って金閣の中層に入り、内部を拝観した後に鏡湖池の周辺を巡るという参拝ルートだったようです。
金閣の内部に入る事ができない今となっては羨ましい話ですが、当時の金閣寺は焼失と再建によって鳳凰のごとく甦った現在のものに比べると古寺の印象が強く、華やかさは余り無かったようです。

金閣寺に行くとモテる!?

これは和服姿の方に限ります。各国の要人をはじめ、世界中の観光客が訪れる金閣寺では、日本の民族衣装である着物姿の人を見かけると、こぞって「写真撮らせて!」とお願いされるのです。

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さりげなく凝っている蹲踞と石畳

境内を歩いているとついつい金閣に見とれてしまいますが、金閣寺には色んな蹲踞や石畳が見られます。

石畳に付いている無数のくぼみや溝は、雨が降って足元が濡れている時に滑り止めの役割を果たしているのではないでしょうか。
境内の数カ所で見られる蹲踞と共に、一年を通して毎日多くの参拝者が訪れる人気のお寺ならではの配慮なのかもしれませんね。