坂本龍馬
龍馬の最期を思うと、本当に言葉では言い現せ得ない気持ちになる。なぜ反撃できなかったのか?手元にピストルを持っていなかったのか? 刀は!!
軍鶏鍋なんか食ってる場合やないやろ。
奥の蔵に隠れていたらちゃんと裏のお寺のお墓に逃げられたのに。・・・・・・!
慶応3年(1867年)11月15日 自身33歳の誕生日に京都河原町蛸薬師近江屋新助宅にて狂刃に倒れた。
一週間前に福井から帰った龍馬は風邪気味で近江屋に用意されていた隠れ家の蔵では、寒さがこたえると母屋二階で火鉢を抱え中岡慎太郎と語り合っていた。
腹がへったなぁ、好物の軍鶏鍋でも食うかと使い走りの峰吉に四条小橋の「鳥新」まで軍鶏を買いにやらせた。
そのわずかなスキに賊は押し入り下僕の藤吉も犠牲になった。
高知の郷士の次男として生まれた龍馬は小さいころはひ弱なしょんべんたれで手習いも不得手。
人望だけは人一倍厚かった。やがて剣術の腕は一流になり、江戸遊学が許された。
いまの私費留学であるから、坂本家の裕福さが計り知れる。江戸で勝海舟に出会い倒幕運動に目覚める。
幕府を倒すのが目的ではなく民主政権の樹立が龍馬の目的だった。
藩という枠にとらわれずに日本という概念を持っていたのはこの時代おそらく龍馬ぐらいであったのではないか。 脱藩し、亀山社中という今の商社のような会社を設立する。 事業は拡大し土佐藩も巻き込んで海援隊へと発展する。 船中八策とよばれる五箇条の御誓文の草稿を作成し後藤象二郎を通じ提言する。
大政奉還され徳川幕府の終焉となる。
翌1868年 明治政府が発足する。
龍馬はあれほど夢見た新しい時代をみることなく駆け抜けていった。 今も京都東山霊山から京都の街を見守っている。
慰霊祭提灯行列
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