小野小町
京都小町巡り | 大宮町小町巡り | 小野小町とは | 小町の歌 | 小町伝説 |
大宮町小町めぐり
九重の 花の都に住みはせて 丹後半島の中ほどにある京都府大宮町の『妙性寺縁起』に伝わる小野小町辞世の歌である。 晩年の小町は天橋立への旅の途中で、三重の里・五十日(いかが・現在の大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し、「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。すると、村に火事が亡くなり、女性は安産になった。再び天橋立に向かおうとした小町は、長尾坂で腹痛を起こし、上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが、上の辞世の歌を残して亡くなったという。村人達は小町を篤く弔い、村の一等地に葬った。後に彼女を慕って深草の少将までもが現れて、この地で亡くなったという。 この伝説に基づき、五十河地区の小町の墓周辺は「小町公園」として整備されました。 うららかな春の1日、小町伝説を求めて、小町終焉の地と伝えられる丹後半島の大宮町を旅してみた。 |
![]() ![]() ![]() |
おすすめコース | |
![]() |
北近畿タンゴ鉄道 丹後大宮駅 ↓ 大宮町役場前バス停 ↓ 延利バス停 ↓ |
小町の墓 ↓ |
|
小町の舎
↓ |
|
妙性寺 ↓ |
|
小野坂 ↓ 延利バス停 ↓ 大宮町役場前バス停 ↓ 北近畿タンゴ鉄道 丹後大宮駅 |
小野小町の墓(おののこまちのはか) | ![]() 小野妙性大姉と刻まれた小町の墓。 ![]() 町の墓の裏にある薬師堂。 ![]() 小町公園内のそば屋「歌仙」 |
大宮町役場前から丹後海陸交通バスに乗り、延利(のぶとし)バス停で下車。 国道655号線を約20分ほど北西に上ると小町の墓、小町の舎、そば処・歌仙(現在休業中。ゴールデンウィークに再開予定。)など、小町関係のスポットが密集している。近年は「小町公園」として整備され、大宮町の観光スポットとして人気を集めている。小町公園は駐車場が完備されているので、自家用車で来た場合はここに車を停めて妙性寺までの附近の史蹟を巡るといいだろう。 まずは道の向こう側の小野小町の墓へ。高さ2mほどある大きな尖った石碑に「小野妙性大姉」と彫られている。裏側には「世話人上田甚兵衛」と彫ってあるのがかすかに読み取れる。 『妙性寺縁起』は小野坂で亡くなった小町の遺体は五十河の村の中央の一等地に石を立てて葬られたと伝えられている。世話人の上田甚兵衛とは、小町と旅の道連れになり、五十河の家に連れ帰り、最期を看取ったと言われる人物。実在の人物らしいが、江戸時代の人物。墓も大宮町に伝わる小町伝説も江戸時代にできたのではないか?と想像される。墓の右端だけギザギザになっているのは、くさびの跡だそうだ。 墓の隣には小堂があり、中には薬師如来が祀られている。「小町薬師堂」と呼ばれ、小町の葬儀と同時に建てられたそうだ。安産に霊験あらたかで村の女性は子供を身ごもると、この薬師堂に安産を祈願したという。 石碑に深く刻まれた小町の法名を見ていると、五十河地区の人々の小町への憧憬が小野の墓に集約されているような気がした。
|
各地に伝わる伝説では、孤独な老女として伝えられることが多い小町だが、大宮町に伝わる小町は住民に慕われ、惜しまれながら亡くなっている。妙性寺に伝わる小町像も満ち足りた表情をしている。本物の小町の生涯は未だ謎に包まれたままだが、案外満ち足りたものだったのかもしれない。
※このページの掲載情報は、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。
参考としてご覧頂きますようお願い申し上げます。