小野小町

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九重の 花の都に住みはせて
はかなや我は 三重にかくるる


丹後半島の中ほどにある京都府大宮町の『妙性寺縁起』に伝わる小野小町辞世の歌である。

晩年の小町は天橋立への旅の途中で、三重の里・五十日(いかが・現在の大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し、「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。すると、村に火事が亡くなり、女性は安産になった。再び天橋立に向かおうとした小町は、長尾坂で腹痛を起こし、上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが、上の辞世の歌を残して亡くなったという。村人達は小町を篤く弔い、村の一等地に葬った。後に彼女を慕って深草の少将までもが現れて、この地で亡くなったという。

この伝説に基づき、五十河地区の小町の墓周辺は「小町公園」として整備されました。

うららかな春の1日、小町伝説を求めて、小町終焉の地と伝えられる丹後半島の大宮町を旅してみた。

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おすすめコース
小野小町マップ 北近畿タンゴ鉄道
丹後大宮駅

大宮町役場前バス停

延利バス停
小町の墓
小町の舎
妙性寺
小野坂

延利バス停

大宮町役場前バス停

北近畿タンゴ鉄道
丹後大宮駅


丹後大宮駅(たんごおおみやえき) 古風な駅舎
朱塗の柱に鬼瓦。古風な駅舎。

小町のステンドグラス
屋根の下には小町のステンドグラスが。
~小町のステンドグラス~
小町の里・大宮の玄関口は北近畿タンゴ鉄道の丹後大宮駅。京都からは山陰線→タンゴ鉄道経由で普通で約3時間半。特急と組み合わせれば約2時間半の行程だ。自動車なら京都市内から約3時間で到着する。モデルコースはバスで回るルートだが、バス(役場前~延利まで約14分¥400-)が1日3本(役場前7:55・12:40・17:55発)しかなく、しかも駅や目的地までの便がないため、自家用車か駅からタクシー(小町公園まで片道約¥2800-)で回るのがおすすめだ。

駅の外観は朱塗りの柱に鬼瓦という古風な造り。屋根の下には小野小町と羽衣の天女のステンドグラスが。いにしえの美女の面影を求めて、期待が高まる


小野小町の墓(おののこまちのはか) 小町の墓
小野妙性大姉と刻まれた小町の墓。

薬師堂
町の墓の裏にある薬師堂。

そば屋「歌仙」
小町公園内のそば屋「歌仙」
大宮町役場前から丹後海陸交通バスに乗り、延利(のぶとし)バス停で下車。 国道655号線を約20分ほど北西に上ると小町の墓、小町の舎、そば処・歌仙(現在休業中。ゴールデンウィークに再開予定。)など、小町関係のスポットが密集している。近年は「小町公園」として整備され、大宮町の観光スポットとして人気を集めている。小町公園は駐車場が完備されているので、自家用車で来た場合はここに車を停めて妙性寺までの附近の史蹟を巡るといいだろう。

まずは道の向こう側の小野小町の墓へ。高さ2mほどある大きな尖った石碑に「小野妙性大姉」と彫られている。裏側には「世話人上田甚兵衛」と彫ってあるのがかすかに読み取れる。

『妙性寺縁起』は小野坂で亡くなった小町の遺体は五十河の村の中央の一等地に石を立てて葬られたと伝えられている。世話人の上田甚兵衛とは、小町と旅の道連れになり、五十河の家に連れ帰り、最期を看取ったと言われる人物。実在の人物らしいが、江戸時代の人物。墓も大宮町に伝わる小町伝説も江戸時代にできたのではないか?と想像される。墓の右端だけギザギザになっているのは、くさびの跡だそうだ。

墓の隣には小堂があり、中には薬師如来が祀られている。「小町薬師堂」と呼ばれ、小町の葬儀と同時に建てられたそうだ。安産に霊験あらたかで村の女性は子供を身ごもると、この薬師堂に安産を祈願したという。

石碑に深く刻まれた小町の法名を見ていると、五十河地区の人々の小町への憧憬が小野の墓に集約されているような気がした。
  • 住所:中郡大宮町五十河


小町の舎(こまちのやかた) 金の小町
入口の金の小町に圧倒される。

小町の化粧椀と鏡
左:伝・小町の化粧椀
右:伝・小町の鏡
~金の小町がお出迎え~
道を渡って寝殿造りをイメージした小町の舎へ。まず、入り口の金の小町像に圧倒される。ブロンズ製だそうだが,十二単に桧扇を持ったピッカピカの小町は強烈な印象だ。

中の展示室も小町一色!『妙性寺縁起』を4つの場面に分けて紙人形で展示してある。これは大宮町在住の小町研究家の女性の手作り。彼女が調べた全国の小野小町伝説の分布図も圧巻!紙人形のジオラマを見ながら館員の方が小町の生涯を解説して下さった。これまた名調子で大宮町の方の小町に対する思い入れがひしひしと伝わって来る。

又、『妙性寺縁起』の複製品や小町をかくまったとされている上田甚兵衛さんのご子孫の方が所蔵している伝・小町の化粧椀と鏡も展示されている。平安時代のものとは思えないが、化粧椀は椰子の実?をくりぬいたような面白い作りだ。

小町の伝説を知りたいならまず「小町の舎」へ!えっ!こんなところにもあったの!?と驚くくらい、全国各地に小町伝説は伝わっている。貴方の町の近くにも、小町が来たことになっているかもしれない・・・。
  • 住所:中郡大宮町五十河302
  • TEL:0772-68-0871
  • 開館時間:10:00~17:00
  • 入館料:200円


妙性寺(みょうしょうじ) 妙性寺
小町開基と言われる妙性寺。「小野山」の山号を持つ

尼姿の小町像
尼姿の小町像
「妙性寺縁起」
大宮町の小町伝説の元になった「妙性寺縁起」。(写真は小町の舎展示の復元品。本物は妙性寺蔵。)
~小町像・小町の位牌と妙性寺縁起~
小町公園から5分ほど北東に坂を上ると、小町開基と伝わる妙性寺に辿り着く。道沿いには小野小町作の和歌が書いてあり、「小町ロード」といった趣だ。「小野山」の扁額がかかるお寺に着くと奥様が杖をついて出てきて下さった。

本堂の奥には、小町の位牌と尼姿の小町像が安置されていた。位牌の表には「小野妙性大姉」、裏には「正徳2(1712)年、昔の位牌が破損したので作り直した」とのことが記してある。横には綺麗な顔をした尼姿だ。京都市内で見た小町像はみな年老いて醜くなった像だったのでこのような綺麗な像を見るのは新鮮だ。

私達が小野小町について調べていることを告げると、奥様はご親切にも『妙性寺縁起』を見せて下さった。桐箱に丁寧に入れられた巻物。最近表装だけは新しくされたそうだが、本文を書いた紙には虫食い跡も見られ、時代を感じさせる。

江戸時代文化年間(1804-1818)の作と言われる『妙性寺縁起』には、「五十日の住人上田甚兵衛宅に身を寄せた小町が「火」に通じる五十日の「日」の字を「河」に改めさせたところ、火事が減り、女性は安産になり、村が平和になった。帰る途中長尾坂で腹痛を起こし、五十河で亡くなった小町を住人達は篤く弔う。小町開基と称してお堂を作り、妙性寺と称した。深草の少将も小町を追って五十河に来て、この地で亡くなり、岡の宮に葬られた。」との内容が記されており、これが大宮町に伝わる小町伝説の元となっている。

小町伝説がこのように文書となって残っているのは貴重なことという。縁起を見せて下さったばかりか、現代語訳と小町伝説に関する新聞記事まで下さった親切な妙性寺の奥様には感謝感激だ。
  • 住所:中郡大宮町五十河小字向地
  • 本堂拝観時間:日中随時
  • 拝観料:無料


小野坂(おのざか) 菊野大明神
ご神体が深草の少将腰掛石だという
菊野大明神。縁切りの神様だ
~小町臨終前の坂~
小町公園から南東に徒歩約20分。国道617号線沿いの藪の中に小町が腹痛を起こしたと言われている小野坂がある。『妙性寺縁起』によると長尾坂で小町は突然腹痛を起こし、上田甚兵衛が背負って帰ったが、辞世の句を残して亡くなったと伝えられている。長尾坂は小町を背負った坂ということから「小野負坂」、後になまって「小野坂」と呼ばれるようになった。

小野坂は山の斜面にある細い道で人が通るのは難しそうだ。近くの電柱に「大宮町五十河」と書いてあったのが印象的だった。
  • 住所:中郡大宮町五十河


各地に伝わる伝説では、孤独な老女として伝えられることが多い小町だが、大宮町に伝わる小町は住民に慕われ、惜しまれながら亡くなっている。妙性寺に伝わる小町像も満ち足りた表情をしている。本物の小町の生涯は未だ謎に包まれたままだが、案外満ち足りたものだったのかもしれない。


※このページの掲載情報は、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。
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