在原業平
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| 人 名 | 生没年 | 業平との関係 | 説 明 |
| 在原業平 (ありわらのなりひら) |
825-880 | 本人 | 絶世の美男子にして平安のプレーボーイ。六歌仙・三十六歌仙の一人で和歌の名手。父・母とも天皇の子でありながら、生まれて間もなく在原の姓を与えられ、臣籍に降下する。849年、従五位下。以後、右馬頭・右近衛権中将などを経て、879年、蔵人頭に至る。政治的には不遇だったと言われているが、そこそこ出世している。「色好み」の典型と言われるが、当時の「色好み」は風流をわきまえた情熱的な人物を指し、結構いい意味で使われていた。『伊勢物語』の主人公、又は作者とも言われる。二条の后、斎宮など、禁断の恋のお相手ほど燃え上がったようだ。又、女性ばかりでなく、惟高親王ら、男性の友人も大切にする優しい性格は『徒然草』に「やさしき人」と評されている。後世、和歌の神として祀られる。880年、5月28日、大原野にて56で亡くなる。 |
| 在原行平 (ありわらのゆきひら) |
818-893 | 異母兄 | 業平の腹違いの兄。父阿保親王が大宰府に流されていた時にできた子という。826年、業平と共に在原朝臣の姓を受ける。中納言、民部卿となる。大学別曹の奨学院を設ける。平たい土鍋で:海水を煮て塩を作ったことに連想して、塩焼きの名所だった須磨に流されていた行平の名を取り、平たい鍋を「ユキヒラ鍋」と呼ぶ。 |
| 阿保親王 (あぼしんのう) |
792-842 | 父 | 平城天皇の皇子。19歳の時、父の奈良還都計画(薬子の変)に加担したとして大宰府に流される。父の死によって許され、都に戻り、叔母に当たる伊都内親王と結婚。翌年業平が生まれる。842年、承和の変において密告者の役割を果たすがその心労もあってか同年10月、50歳で亡くなる。 |
| 伊都内親王 (いとないしんのう) |
803?-861 | 母 | 桓武天皇の皇女。824年、甥に当たる阿保親王と結婚。業平を生む。莫大な母の遺産を興福寺へ献納した時の「伊都内親王願文」がある。広大な邸宅が長岡京にあったという。 |
| 藤原高子 (二条后・ ふじわらのたかいこ) |
843-910 | 元恋人? | 藤原長良の娘。基経の同母妹。859年、従五位下に叙せられ、五節舞姫をつとめた。この頃、18歳年上!の在原業平と恋に落ちたが兄達によって引き裂かれ?、25歳の時、7歳年下の清和天皇の女御となる。2年後、貞明親王(陽成天皇)を産む。東宮の母として政治的、文化的に活躍し、息子の即位と共に皇太后、皇太夫人として権勢を極める。彼女の周りには業平を始めとする文化人達の文芸サロンができていたらしい。業平にはその後もほのかな恋情けを抱いていたか?「鶯の凍れる涙・・」という繊細な歌が『古今集』に残っている。陽成の退位とともに二条院へ移ったことから二条后と呼ばれる。896年、東光寺座主の善祐と密通したとして皇太后を廃されるが、死後の943年、号を復された。政治的にも文化的にも才能があり、恋多き、魅力的な女性だったのだろう。 |
| 惟高親王 (これたかしんのう) |
844-897 | 親友 | 文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘の更衣紀静子。857年14歳で元服。常陸大守、上野大守を歴任後、872年、出家、大原に隠棲。病のためとも、弟惟仁親王(清和天皇)との位争いに敗れたためとも言われる。業平とは大の親友で、業平は惟高親王が隠棲した大原へと度々足を運んでいる。風流に親しみ、和歌にも優れていたことから、業平が敬愛していたのもうなずける。 |
| 恬子内親王 (斎宮・やすらけいこない しんのう) |
848?-913 | 親友 | 文徳天皇皇女。惟高親王の同母妹。清和天皇の斎宮として859年斎宮にト定。861年、伊勢へと下り、880年、清和天皇の崩御により退下、帰京した。『伊勢物語』では狩の使いで来た業平と夢かうつつかわからぬ一夜を過ごしたことになっている。高階師尚は恬子内親王と業平の密通の結果の子供との記述が『尊卑文脈』にある。 |
| 高階師尚 (たかしなもろなお) |
?~? | 隠し子? | 業平と斎宮・恬子内親王の隠し子という説もある。それを隠すために高階茂範の養子になったとも。 |
| 清和天皇 (せいわてんのう) |
850-880 | ライバル? | 文徳天皇第四皇子。母は藤原の良房の娘、明子(染殿后)良房待望の皇子であった。生後8ヶ月で立太子。9歳で即位。7歳年上の藤原高子を女御に迎えた。後、仏教に深く帰依した。 |
| 藤原基経 (ふじわらのもとつね) |
804-872 | ライバル? | 藤原高子の実兄。藤原良房の養子となり、政治の実権を握る。業平と高子の交際には反対で、『伊勢物語』には業平と高子(らしき人物)が駆け落ち?した時、妹を連れ戻しに行った話が載っている。その後、高子を清和天皇と政略結婚させた。摂政・関白太政大臣となる。 |
| 紀有常の女 (きのありつねのむすめ) |
?~? | 正妻 | 全く存在感のない業平の正妻。色好みの夫を持ってさぞかし苦労したことだろう(^^;) |
| 西暦 | 年号 | 天皇 | 年齢 | 出来事 |
| 792 | 延暦4 | 桓武 | 父・阿保親王誕生 | |
| 803 | 延暦22 | 母・伊都内親王誕生 | ||
| 810 | 弘仁元 | 嵯峨 | 父・阿保親王薬子の変に関わったとして大宰府に左遷 | |
| 818 | 弘仁9 | 兄・行平、大宰府で誕生(業平とは腹違い?) | ||
| 824 | 天長元 | 淳和 | 祖父・平成上皇崩御 阿保親王、大宰府より帰京。伊都内親王と結婚 |
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| 825 | 天長2 | 1 | 業平誕生 | |
| 826 | 天長3 | 2 | 行平・業平ら兄弟、在原朝臣の姓を賜る | |
| 841 | 承和8 | 仁明 | 17 | 業平、右近衛将監となる |
| 842 | 承和9 | 18 | 10月、父・阿保親王崩ず 藤原高子(二条の后)誕生 |
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| 843 | 承和10 | 19 | 兄・行平、侍従となる | |
| 844 | 承和11 | 20 | 惟高親王誕生 | |
| 845 | 承和12 | 21 | 業平、左近将監となる | |
| 847 | 承和23 | 23 | 業平、蔵人となる? | |
| 848 | 嘉祥元 | 25 | 業平、正六位上より従五位下となる | |
| 857 | 天安元 | 文徳 | 33 | 惟高親王、14歳で元服 |
| 859 | 貞観元 | 清和 | 35 | 藤原高子、従五位下に叙せられる11月の豊明節会で、高子、五節の舞姫に選ばれて舞う業平、蔵人として高子の世話をし、この時二人は初めて出会う 恬子内親王(惟高親王妹、業平と密通した話あり)、斎宮にト定 |
| 861 | 貞観3 | 37 | 母・伊都内親王崩ず | |
| 862 | 貞観4 | 38 | 業平、従五位下より従五位上、左兵衛権佐となる | |
| 863 | 貞観5 | 39 | 業平、左兵衛佐となる | |
| 864 | 貞観6 | 40 | 正月、清和天皇、元服 | |
| 865 | 貞観7 | 41 | 業平、右馬頭となる | |
| 866 | 貞観8 | 42 | 藤原高子(二条后)、清和天皇の女御となる | |
| 868 | 貞観10 | 44 | 12月、藤原高子、貞明親王(陽成天皇)を産む | |
| 873 | 貞観14 | 48 | 惟高親王出家 | |
| 875 | 貞観17 | 51 | 業平、右近衛権中将に任ぜられる | |
| 876 | 貞観18 | 陽成 | 52 | 藤原高子(二条后)大原野神社へ行幸? 業平、近衛権中将として供奉し、高子に祝賀の歌を詠む11月、清和天皇譲位、貞明親王即位(陽成天皇) |
| 877 | 元慶元 | 53 | 藤原高子(二条后)、皇太夫人となる業平従四位上、権中将となる | |
| 879 | 元慶3 | 55 | 業平、蔵人頭となる? | |
| 880 | 元慶4 | 56 | 5月28日、在原業平没清和上皇崩御兄・行平、奨学院を創建藤原高子、皇太后となる | |
| 893 | 寛平5 | 兄・行平没藤原高子、僧と密通した容疑で皇太后を廃される | ||
| 897 | 寛平9 | 醍醐 | 惟高親王崩ず | |
| 910 | 延喜10 | 藤原高子崩ず | ||
| 913 | 延喜13 | 元斎宮、恬子内親王崩ず |
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