京都新緑の庭特集

庭園鑑賞の豆知識 新緑の庭園リスト 新緑を歩くコース 作庭家

作庭家

石川丈山
江戸時代初期の漢詩人・書家。もとは武士で、徳川家康に仕え、大坂夏の陣に功をたてました。煎茶の祖とも言われています。
  • 1583~1672
  • 渉成園(東本願寺)・酬恩庵(一休寺)

林賢

青女の滝(法金剛院の滝)・有清園(三千院)勧修寺


夢窓疎石

鎌倉後期~南北朝時代の臨済宗の僧。作庭した天龍寺は自身が開山しました。漢詩文の五山文学では門下の夢窓派が中心となりました。
  • 1275~1351
  • 曹源池庭園(天龍寺)・苔寺庭園(西芳寺)・南禅院(南禅寺)・等持院書院(等持院)

玉淵坊

江戸時代初期に小堀遠州の高弟でした。桂離宮の造営にも参画したと伝えられています。
  • 方丈庭園(知恩院)・慈照寺庭園(慈照寺)

賢庭

豊臣秀吉彼の死後三宝院の増改修が行われ、石組の「天下一の名手」とうたわれました。
  • 三宝院(醍醐寺)・圓徳院庭園(圓徳院)・伏見城庭園(伏見城)

八条宮初代智仁親王、 二代智忠親王

戦国時代から江戸時代前期にかけての皇族。豊臣秀吉の猶子となりましたが、秀吉に実子が生れたことにより、八条宮を創設しました。家領の下桂村に別業を造営し、これが後の桂離宮になりました。皇子という出自から、典雅な公家文化に育ち、秀吉の影響を受けたことから、その優れた美的感覚を生かしており、それは息子智忠親王にまで引き継がれています。今では桂離宮は日本建築の最高峰として、世界中の建築家が影響を受けています。
  • 桂離宮

小堀遠州

江戸初期の武将・茶人・造園家。豊臣氏および徳川氏に仕え、作事奉行・伏見奉行を勤仕しました。遠江守であったので遠州と称し、茶道を古田織部に学び、遠州流を創め、徳川家光の茶道師範でした。和歌・生花・建築・造園・茶具の選択と鑑定に秀でていたといわれています。
  • 1579~1647
  • 二の丸庭園(二条城)・仙洞御所(京都御苑)・芳春院(大徳寺)・金地院(南禅寺)・孤篷庵(大徳寺)

後水尾天皇

江戸初期の天皇で、八条宮智忠親王の甥。徳川秀忠の娘の東福門院を中宮としましたが、幕府の公家圧迫に反発して1629年に明正天皇に譲位しました。修学院離宮造成にあたり、精巧な模型を作らせたり、自ら現場に立つなどの逸話が伝えられています。隅々まで気配りされた建築・庭園は優雅で美しいと讃えられてられています。
  • 1596~1680
  • 修学院離宮

重森三玲

昭和を代表する庭園家・庭園史研究家。日本美術学校で日本画を学び、生花・茶道を研究し、その後庭園を独学でびます。昭和8年に生け花界の革新を唱え、「新興いけばな宣言」を起草した人物としても知られます。日本庭園、茶道、いけばなの研究者として重要な業績を残しており、数々の著作を残しています。
  • 1896~1975
  • 普門院(東福寺)・光明院庭園(東福寺)・瑞峯院庭園(大徳寺)・松尾大社庭園 ・龍吟庵庭園(東福寺)・重森三玲邸庭園

小川治兵衞

宝暦年間(1751~1763)より作庭にて生業を立てた小川治兵衛の七代目。初代が侍の立場より造園の道を志し、帯刀を許された作庭家となりました。七代目は住友家、三井家等の財閥家の庭園を作庭。その他各都市の名勝及び文化財指定庭園を作庭しました。通称は植治。
  • 1860年~1933
  • 無鄰菴庭園(無鄰庵)・対龍山荘・円山公園・神苑(平安神宮)・碧雲荘(野村氏別邸)・京都国立博物館庭園