京都本山巡り・大徳寺編

京都本山めぐり
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龍源院 瑞峯院 大徳寺勅使門 大仙院 高桐院

大徳寺勅使門(重文)
大徳寺の諸堂は勅使門・三門・仏殿・法堂と南北に一直線上に並び、後方に庫裏、東に方丈が配される禅宗の典型的な伽藍配置です。山門前にある勅使門は、前後唐破風の左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門です。後水尾天皇より内裏の門を拝領したと伝えられています。2000(平成12)年に屋根等が修復されました。 瑞峯院
立体的な彫刻が素晴らしいですね。 *

三門(重文)
本瓦葺の唐様建築で、禅寺三門のうちでは、東福寺の三門に次いで古いといわれています。1526(大永6)年、連歌師宗長が初層を寄進し、1589(天正17)年に千利休によって上層が増築され、「金毛閣」と称し、自分の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休自決の原因となった話は有名です。
「金毛閣」の額がはっきりと見えます。この上層部に利休の像が安置されていたのですね。 他の伽藍群に比べてひときわ赤く目立ち、人が潜るこの門に利休の像を置いた意図とは・・・?当時の人間模様を考えてしまいますね。
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* ふと左に目をやると、休憩所がありました。 歩き疲れた人、寺宝を見過ぎて寺酔いした人(笑)はどうぞ。

ちなみにセルフサービスです。
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仏殿(重文)
第一世大現国師により創建されましたが応仁の乱で消失し、一休宗純等によって再建され、1665(寛文5)年に那波常有によって改めて建造されました。 *

法堂(重文)
仏殿の北にある、江戸時代建築の重要文化財建造物です。1325(正中2)年に宗印禅者を檀越として修造を始めますが、応仁の乱によって消失しました。一休宗純が仏殿を再建されて後、仏殿と兼用されていましたが、1636(寛永13)年の開山国師三百年遠諱に当たり、江月和尚の参徒である小田原城主稲葉正勝の遺命によって、その子正則が再建したものです。天井の龍の絵は、狩野探幽の筆によるものです。 

方丈(国宝)
南の庭園は広い白砂敷きで、土塀に沿って樹木と東南の隅に賀茂川の黒大石と紀州の青大石を並べ立て滝口とし、その下に平石を置いて渓流をかたどっています。中央には勅使門があります。東の庭園は細長く江戸時代初期を代表する枯山水で、二段の刈込に沿い大小の石組で表現され、昔は鴨川、比叡山を借景にしていました。方丈庭園は国の史跡および特別名勝に指定されています。