トロッコ列車・保津川くだりの旅
| 開航400年の保津川下り |
・長岡京時代… 京に都が置かれる前から、保津川の水流を利用して京都や大阪に物資を運ぶための水運「川下り」が行なわれていました。 その後、上流の丹波から筏に乗せて木材が輸送され、天龍寺や臨川寺、大阪城築城、伏見城の造営等に貢献しました。 まっすぐに剪定された姿で有名な北山杉は、床柱などに利用されます。 |
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1606(慶長11)年~昭和23年頃…角倉了以の開削、産業を支える 徳川家康の許可のもと、安南(ベトナム)へと朱印船を派遣して海外貿易を行い、川大名と呼ばれた京都の豪商・角倉了以によって保津川開削され、難工事を経て物流河川としての水路が開かれてからは、米・麦・薪炭等も高瀬舟で輸送されるようになりました。 ・明治32年~戦後…水運としての役目を終える 山陰線の開通、トラック輸送の発達によって、筏と船による水運利用は次第に姿を消していきました。 ・明治の28年頃~現在…観光遊船として人を運ぶ 保津川峡谷の四季を通じた自然美を活かし、遊船として観光客を乗せた川下りとして生まれ変わりました。亀岡~嵯峨間で16kmの保津川下りは、今や海外からも利用者が増え、年間を通じて約30万の観光客が訪れています。 ![]() |
| 手作りから再出発したトロッコ列車 |
現在トロッコ列車が走っている線路はその昔、京都政財界の大御所・田中源太郎氏が敷設した京鶴線(旧山陰本線)の一部でした。
しかし、保津峡谷を縫って走り、車窓から素晴らしい景色で乗客を楽しませてきたこの廃線区間を観光用に開発する事になりました。
新たな動力の出現によって、一時は衰微を辿った保津川下りと旧山陰本線。 |
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| 京都府の真ん中、丹波高地から始まった保津川の流れは、大堰川と名を変えて名勝・嵐山へと私達を運び、渡月橋を越えると桂川となります。 後に鴨川と合流、木津川、宇治川と束ねられ、そして淀川となって大阪湾へと流れて行きます。 |
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蓮華岩を越えた先にあるこの橋は、建設当時「アジアで最も大きい橋」と言われていました。レンガ造りに風情がありますね。


