節分会・節分祭

節(せち)分かれといって季節が変わる節目のことで、立春の前日をさします。
本来の節分は、冬から春への変わり目で、自然の姿が変わることを大切な節目としていました。
今では外から邪気悪霊が入ってくるのを防ぐよう、庭からくる鬼に大豆を投げつけて追い払うように変わりました。

節分会・節分祭

※ 予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。

洛東
洛中
洛南
洛西
洛北

深泥池(みどろがいけ)の「豆塚」

むかしむかし洛北の深泥池には「豆塚」という塚があったそうです。
平安京の北に、鬼たちが毎晩出没し悪さをして人々を困らせていました。この鬼たちは貴船の谷に住み、地下道を通って深泥池の畔の穴から地上に出て騒いでいたのです。
そこで人々は、鬼を退治するために鬼が嫌っている豆を投げ込んだところ、鬼は静かになり出てこなくなりました。それ以来、鬼の出入りする穴に節分の豆を捨てるようになったそうです。
これが節分に豆をまき、鬼を追い払うことの始まりとも言われています。
文献には、この穴の跡に豆塚があったと記されていますが、それが近くの貴船神社ではないかと言われています。

追われた鬼

豆を投げられ追い払われた鬼達は、奈良の吉野の金峯山寺に暖かく迎えられていました。そして鬼火の祭典で今までの悪行を改心し、すっかり「良い鬼」になっていました。それで、この金峯山寺では「福は内、鬼も内」と、他とは違ったかけ声で豆まきが行われるそうです。

節分に豆といわし、そして太巻ずし

炒った豆を自分の年より一粒多く豆を食べるのが節分の習わしです。
また、この日には塩いわしを焼き、家中、匂いと煙を一杯にして鬼を追い払います。そして、いわしの頭をひいらぎの小枝につるし戸口にぶら下げて魔よけにします。さすがに今では家の中を煙で払うことはなくなりました。
そして太巻ずしを1本、切らずにそのままその年の恵方の方角に向かって無言でかぶりつくと1年間良いことがあるそうです。話しかけられても「・・・(無言)」なのです。
この風習の由来は諸説ありますが「巻く」ということから「福を巻き込む」、「切らずに食べる」ことから「縁を切らない」という意味が込められているという説が有力です。
また、巻ずしの形が黒くて太いことから、鬼の金棒にみたて豆をまくのと同じように、鬼の金棒を食べて鬼退治をする意味もあるようです。

花街にでる「お化け」

「今晩は、お化けどす」祇園では節分を「お化け」と言って、芸妓さんたちが趣向をこらしてグループで「仮装」を楽しみます。これは、節分の日に仮装をして鬼を追い払う行事です。
ふつう祇園では、舞は井上流だけが認められていますが、節分のこの日ばかりは違います。他流の踊りも許され、芸妓さん達は思い切り、羽目をはずします。こんな衣装のグループが信号待ちをしながら、お茶屋からお茶屋へ移動するのですから、通行人も思わず笑ってしまいます。
今では、舞妓・芸妓だけではなく、クラブホステスまで仮装して仕事に出ます。花街がコスプレ状態です。
ひと目だけでも「お化け」に会いたい方は花見小路、四条通り、新門前通りなど、21時ごろから深夜に出かけてみましょう。運がよければ「お化け」の一行と出くわすかもしれません。

最近では一般の方も参加できる「お化け」があります。