古くから町内に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路綾小路下ル風早町にあるところから「油天神山」とも、また勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれるという。 山は正面に朱の鳥居を立て朱塗の社殿にはもと風早家に伝来し、後の町内の祠に祀っていた天神像を安置する。社殿の両脇、随身の板絵は狩野益信(江戸中期)筆と伝える。真木の松の他に紅梅の枝をはなやかに立て鈴をつけている。 装飾 水引は龍鳳凰文の刺繍、前掛と胴掛はいずれも雲竜文の繻子地錦、見送は有名な毛綴(タペストリー)の宮廷宴遊図である。 欄縁は前部だけ凹形に切り込んで社殿をはっきり見せたもので、天保4年(1833)製作の牛と梅の錺金具がついている。