龍安寺は臨済宗妙心寺派に属する禅寺。 龍安寺といえば有名なのが石庭。枯山水の庭には杮葺の油土塀に三方を囲まれ、大小15の石が東から5・2・3・2・3と並んでいる。渓流を虎が子を連れて渡っているように見えるので「虎の子渡し」とも称される。室町時代末期の作と伝えられるが、作者は不明。意図も由来も謎に包まれている。 見どころは石庭だけでなく、春には桜が華やかに咲き誇り、秋には紅葉が美しく床にも映りこむ。 龍安寺は徳大寺家の別荘で、1450年に細川勝元が譲り受けて寺地とし創建された。広大な鏡容地は徳大寺家所有時代に造られたもので、季節の花に彩られる。
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創建は江戸時代中期で、1755年に洪水で流失したため、現在の建物はその後に再建されました。
江戸時代はおしどりの名所で「おしどり池」とも呼ばれました。 鏡容池の周りには四季折々の花や木が彩ってくれます。
境内全域に配された、背の低い竹垣。すかしの部分に割竹を菱形に張っている。菱形の目が龍安寺独特。
織田信長の弟、信包が建立した塔頭寺院、西源院の建物だった。火災で龍安寺の方丈が焼失したため移築された。 皐月鶴翁が5年ががりで描いた龍と北朝鮮の金剛山の襖絵がある。
方丈裏の蹲は、中央の水穴を「口」の字に見立て、「吾唯足知」は、現状に満足することを知っている人の心は豊かだ、と言う意味の禅語。徳川光圀の寄進とされる。
石庭は正しくは方丈庭園といい代表的な枯山水の庭園です。 石庭の15個の石を一度に完全に見ることはできず、見る人や場所によって見える石も違います。
禅宗寺院建築の特徴を捉えた木組みと白壁からなる構成は簡素且つ重厚であり、寺院全体と調和している。
火災で龍安寺の勅使門が焼失したため、西源院の唐門が移築された。エリザベス女王夫妻が参拝された時にはここから入り、石庭をご覧になられた。