鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来している。
鉾頭の日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ、巡行の折には稚児同様、鉾の上で稚児舞いができるように作られている。この鉾は明治の中期に胴組・天井・柱・屋根などが大改装され、また金具類も順次整備せられた。
装飾
破風正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年(1917)下水引の刺繍琴棋書画図は与謝蕪村の下絵で、前掛は花文のトルコ鍛通、胴掛は花文のコーカサス鍛通などが用いられ、見送は雙鳳唐子遊楽図の綴錦で文政11年(1828)京都西陣で作られた立派なものがあるが昭和57(1982)年から皆川泰蔵作「バクダッド」にかえている。
別に旧胴掛として李朝製で描絵鶴文様の朝鮮綴のものが保存されている。
- 住所:中京区新町通四条上る小結棚町
- ご利益:疫病除け
- 鉾に登るには:自由(女性は入れません)
- 鉾の重さ:10.32トン(巡行時。人、懸想品含む)7.25トン(山鉾装飾のみの重量)
※山鉾で4番目の重さ