比叡山延暦寺は天台宗の総本山。 12歳で出家した最澄は厳しい修行に励み、比叡山に入りさらに修行を積み、延暦7年一乗止観院と名付けた草庵を建てた。これが東塔の現在の根本中堂で、中には最澄が自ら彫った薬師如来が安置され、その前には1200年絶えることのない「不滅の法灯」がある。
最澄は比叡山に篭もって修学修行に専念する12年間の教育制度を確立し、延暦寺から多くの高僧碩徳を輩出した。 浄土念仏の法然、親鸞、禅では臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、法華経信仰の日蓮といった世に名だたる名僧がここから巣立ち、比叡山延暦寺は日本仏教の母山と呼ばれている。 元亀2年(1571)織田信長によって比叡山は全山焼き討ちされたが、豊臣秀吉や徳川幕府により、比叡山は再興された。 最澄の開山以来、厳しい修行と学問に専念するため山の中に身を置き、厳しい修行と学問に専念する。現在でも千日で地球一周にも相当する距離を歩き続ける「千日回峰行」が行われる。 比叡山延暦寺というお寺はなく、1700ヘクタールの比叡山中にある東塔、西塔、横川の、三塔十六谷の総称を延暦寺と言う。
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東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。
国宝で延暦寺の総本堂で、最澄が自ら彫った薬師如来像の前には、不滅の法灯が消えることなく灯り続けています。 内陣が参拝者のいる中陣・外陣より低く、本尊や法灯が参拝者の目の高さにあるのは、仏も人も一つの「仏凡一如」の考えから。
僧侶が法華経の講義を聞いたり、問答をして勉強をする道場です。 本尊は大日如来が祀られ、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮などの等身大の尊像が安置されています。現在の建物は昭和三十一年焼失後、山麓坂本にあったものを移築されたものです。
最澄が建立した、全国6か所の宝塔を総括する宝塔です。信長の焼き討ちから400年ぶりに再建され、塔の朱と自然の緑が美しいコントラスト。
1937年に比叡山開創1150年大法要を記念して建てられました。 ここは滅罪回向の道場で、本尊は阿弥陀如来。
根本中堂の前の石段を上ったところにあり、比叡山の総門の役目を果たす。文殊菩薩がまつられていて合格祈願に人気。
かつては政所、食堂ともいわれました。本尊には大黒天、毘沙門天、弁財天の顔を持つ三面大黒天をまつっています。別名、出世大黒天。
日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を祀り、世界に遍満する神々をも共に迎えて、日夜平和と人類の平安を祈願している平成の新堂です。
西塔は本堂にあたる釈迦堂を中心とする区域です。
最澄自作の釈迦如来を本尊として、西塔の中心のお堂。信長の焼き討ち後、秀吉が大津の三井寺から移したもので、天台建築様式の代表となる山内最古の建物。
同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっています。常行堂は阿弥陀如来を本尊とし、法華堂は普賢菩薩を本尊とします。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれています。
法華堂は普賢菩薩を本尊とします。
横川は本堂にあたる横川中堂を中心とする区域です。
横川の本堂にあたるのが、この横川中堂です。舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として聖観音菩薩が祀られています。
慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる元三大師堂は、四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれています。