加茂別雷神社(上賀茂神社)

上賀茂神社について

由緒
上賀茂神社は通称であり、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といいます。 
賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀られています。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味です。 神代の昔、秀峰神山(こうやま)に降臨にされ、天武天皇の御代(678)に現在の社殿の基が造営されました。

立砂
二ノ鳥居をくぐると2つの砂でできた円錐が目に入ります。美しくそびえる円錐のてっぺんには、なぜか2本と3本の松の葉が差し込まれています。 この「立砂」は神代の昔、賀茂別雷大神が神山を模したものだそうです。実際の神山は入山することはできないそうです。その、松葉は神が降臨する際の目印なのだそうです。

境内マップ

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  • 住所:京都市北区上賀茂本山
  • アクセス:市バス「上賀茂神社前」
  • 拝観時間:10:00~16:00(土日祝:~16:30)
  • 料金:無料、国宝・本殿権殿:500円
  • 上賀茂神社ホームページ
一ノ鳥居

台石を設き、笠木を反らせた「明神鳥居」の形式で扁額のないシンプルなもの。

神馬舎

社領内で馬を飼育していて、日・祭日には神馬舎に留め置かれる。

二ノ鳥居

一ノ鳥居をくぐり、白砂の参道を抜けた先に、本殿を向いて建つ。

細殿

かつては天皇や斎王のみが昇殿を許された建物。正面に立砂がある。

橋殿

葵祭では祭文の奏上が行われる。下を流れるのはならの小川。

楽屋

神仏習合時代の供僧が用いた建物で、一切経楽屋とも呼ばれる

土屋

神主以下の社司の著到殿として使用されていた建物

楼門

御物忌川の前に建つ門で、左右に回廊を持つ。楼門の前の玉橋も重要文化財。正月以外はわたることはできない。

片山御子神社(片岡社)

「縁結びの神様」としても古来から有名で、紫式部が何度もお参りしたことでも知られています。

 
 
 

行事

白馬奏覧神事

宮中の儀式である白馬節会を神事化したもので、神前に七草粥を供え、神馬を曳いて大豆を与えます。年の初めに白馬(青馬)を見ると一年の邪気が祓われるといわれます。
限定400食の七草粥接待もあります。

武射神事

年の始めに裏に「鬼」と書かれた的を射て年中の邪気を祓います。その後小笠原流近畿菱友会による大的式又は百手式の奉納があります。

節分祭

季節の変わり目であるこの日に神前に様々なお供え物に福豆を添え、災いを除く祈願をします。

燃灯祭

平安時代に宮中の年中行事として行われていた「子の日遊び」を神事化したもの。神職一同、神館跡の壇に出でて小松を根引きとし、それに燃灯草を添えて神前に奉る神事である 。

桃花神事

上賀茂神社で行われる五節句のひとつ。神前に草餅や桃花・辛夷の花を供えて、無病息災を祈願し、あわせて女児の健やかな成長を祈願します。

賀茂競馬会足汰式

5日の賀茂競馬に先立ち、馬の年齢、遅速を実際に見て、組合せを決定するものです。烏帽子に浄衣の装束で騎乗し、本格的に馬にムチを入れ試走します。

斎王代御禊

5月15日の賀茂祭(葵祭)奉仕に先立ち、その年選ばれた「斎王代」以下女人列が御禊(祓)を執り行う儀式。下鴨神社と交互に斎行。

賀茂競馬

乗尻は左右に分れ、左方は打毬、右方は狛鉾の舞楽装束を着けます。勧盃、日形乗、月形乗、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競馳します。

葵祭

京都御所から下鴨神社を経て勅使が参向されます。御祭文を奏上・御幣物が供えられ東游の舞や走馬が行われます。

重陽神事

神事後、白い装束を着た氏子が「カーカーカー」「コーコー」と烏の鳴き声で受け答えをするユーモラスな儀式が行われ、子供達により相撲が取られます。 

笠懸神事

笠懸は日本書紀にも登場する日本古来の弓馬術で、疾走する馬上から的をねらいます。馬上から約5メートル離れた40センチの四方の的を射る遠笠懸と、地面低くに立てられた10数センチ四方の的を射る小笠懸とがあります。