正式名称は東山慈照寺といい、臨済宗相国寺派の禅寺。 銀閣と呼ばれているのは観音殿(国宝)のこと。銀箔を貼られたことは一度もない。 将軍職を子に譲った室町幕府8代将軍・足利義政が、祖父義満の金閣寺にならって造営した山荘・東山殿が発祥で、義政の死後山荘が禅寺となった。
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方丈前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や向月台があります。銀沙灘は月の光を反射させるためとかいう俗説があります。
向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだという俗説があります。現在の形になったのは江戸時代後期の事といわれています。
観音殿(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存するのが東求堂(国宝)です。東求堂は本来持仏堂、すなわち阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。
江戸中期の建造。銀沙灘の前に堂々とたたずむ。本堂(方丈)の正面にかかる額には「東山水上行」と書かれています。
銀閣寺の象徴というべきものがこの観音殿です。義政は自らの宗教観を託し、一層を心空殿、二層を潮音閣と命名しました。心空殿の南側は壁も障子もなく、銀沙灘越しに東求堂が見える造りになっています。
銀閣の前にある錦鏡池を中心に池泉回遊式庭園が広がっています。 観音殿が錦鏡池に映るように設計し整備されていて、錦鏡池に映る銀閣寺の光景は朝方が一番美しいといわれています。
方錦鏡池南東端に落ちる滝、山部山畔から流れ落ちる水です。
下段の庭から東の山腹をさかのぼると湧水、お茶の井があります。