郭巨山は「釜掘り山」とも言われ、中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなんで造られているのでこう呼ばれる。
ご神体は、貧困ながら母に孝養をつくしたい郭巨が自分の子供を山に捨てに行ったところ黄金の釜を掘り当てた中国の史話二十四孝の古事に由来する。
装飾
山に飾る人形(御神躰)の郭巨と子供は寛政4年(1792)金勝亭九右衛門利恭作といい、前掛は天明5年(1785)作の唐美人遊楽図の綴錦、胴掛の刺繍呉道子と陳平図は石田幽汀(1721~86)下絵で天明5年(1785)松屋源兵衛の作。
見送は、文化12年(1815)作円山応震(1790~1838)下絵の山水人物図綴錦もあるが、近年「漢詩文」のものが用いられ、また、19世紀ペルシャ絨氈もある。
古見送として別に紺地金絲縫賀寿之文一幅を蔵している。
この山に限って金地彩色法相華文の乳隠し(これは山の胴掛がまだ幔幕風であったころ幕の乳を固定したところを覆い隠す板であったという)が用いられ、また屋根覆いをかけている。
- 住所:下京区四条通西洞院東入郭巨山町
- ご利益:母乳の出を守る 金運開運
- 山の重さ:0.69トン(巡行時。人、懸想品含む)
- 郭巨山ホームページ