鉾頭に大長刀を付けている長刀鉾は、古来より必ず巡行の先頭を行き、順番を決めるくじを取らない事からくじ取らずと言われます。
現在では、唯一この長刀鉾のみ生稚児が乗ります。生稚児が2人の禿を従えて鉾に乗り込み、しめ縄切りや稚児舞を披露します。
装飾
真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。
屋根裏の金地著彩群鳥図は松村景文筆、破風の厭舞と刀鍛冶宗近が長刀を造る姿の木彫胡粉彩色彫刻は片岡友輔の作である。
前掛にはペルシャ花文緞通、ペルシャ絹緞通(古)、胴掛には中国玉取獅子文緞通、卍花文緞通、梅枝文緞通、トルコ花文緞通など秀れた18世紀頃の緞通類が用いられている。
見送は中国明時代の雲龍図綴錦である。
- 住所:下京区四条通烏丸東入長刀鉾町
- ご利益:疫病除け
- 鉾に登るには:ちまきを購入(女性は入れません)
- 鉾の重さ:11.10トン(巡行時。人、懸想品含む) 7.63トン(山鉾装飾のみの重量)
※山鉾で3番目の重さ
長刀鉾町お千度 1日10:00
鉾町の役員や稚児係と共に、八坂神社神前に稚児に選ばれた事を報告し、巡行の安全と神事の無事を祈ります。
稚児と禿は、京都でも三人のみと言われる顔師のお化粧によって神秘的な美しさに包まれていき、禿を先頭に稚児は八坂神社境内へ。父・祖父と言えども、稚児と素手で手をつなぐ事は許されず白い布越しに手を引きます。
鉾町の役員、稚児・禿、その両親と親戚が揃って本殿を千度廻り参拝します。
実際には三回廻りますが、役員、お供の数を通算すると千度廻った事になるそうです。
長刀鉾稚児舞披露 5日15:30ごろ
17日の山鉾巡行の本番に向けて、稚児係の指導で会所二階にて行われます。
稚児舞とは、山鉾が通る道を清め祓う舞で「太平の舞」と言うそうです。 稚児の足はお父さんとおじいさんが支え、稚児係は後ろから支えます。
鉾建て 10日~14日
鉾建ては10日~12日に行われます。
釘を使用せず縄だけ(縄がらみ)で組み立てます。結び目がチョウやエビのような形をしているのが特徴です。
この縄組は巡行の際の歪みを吸収するという優れたものです。
長刀鉾鉾曳き初め 12日
完成した鉾に巡行当日と同じ盛装で音頭取、囃子方が乗り込み、町内を試し曳きします。
稚児と禿は初めて動いている鉾に乗れる日です。 祭壇に柏手を打ち、曳初の安全を祈願してから鉾に乗ります。 四条通りの鉾町より富小路通までを往復します。
綱を引くと厄除けになると言われ、この時は女性や子供も曳く事ができます。
長刀鉾稚児社参 13日11:00
稚児が大名(正五位少将十万石)の位を授かる大切な日です。
白馬にまたがり大勢のお供を従え、八坂神社へ向かいます。 お供は武士の家来役なので、全員裃姿で参列します。
稚児は蝶蜻蛉の冠と金烏帽子を身に付け、神の使いへとその姿を変えていきます。 禿もこの日は侍烏帽子の冠を付けます。稚児を護る武士の役目を担っているのです。
この日から山鉾巡行のお務めを果たすまで稚児は神の使いとされ、地面に足をつける事も許されません。
馬上の稚児はそのまま稚児家へと進み、長刀鉾町理事長から祝いの言葉を頂いた後、 稚児家主催の「直会」が行われます。稚児達は厄除けの稚児餅を頂きます。
前祭巡行 17日
絢爛豪華な衣装を身にまとった稚児は強力の肩に担がれて鉾の上に。禿は先頭を歩きます。
沿道を埋め尽くした見物衆の前にて堂々とした「見返りの稚児」。 その瞬間「いよー日本一!」と、観客の声援も一段と高くなります。
祇園囃子が響き渡る都大路を長刀鉾が巨体をきしませ、注連縄に近づいてきます。長刀鉾理事長が、奉行役の市長に巡行の許可を頂きます。多くの観客の前で稚児舞を披露し、いよいよ注連縄切です。緊張は最高潮に達します。
「一刀両断」。注連縄切を成し遂げた瞬間、沿道からはどよめきと割れるような拍手が沸き起こります。この注連は厄除けになるそうで、沿道の観客が我先にと飛びつきます。
山鉾の先頭を行き、太平の舞、注連縄切りを終えた稚児・禿は、御池通新町で静かに鉾を降ります。