四条傘鉾は、応仁の乱以前に起源を持ち、綾傘鉾と共に古い形態の傘鉾である。鉾頭は、花瓶・赤幣・若松を飾る。
巡行時に総勢16名の子供達による棒振り踊りが目を引く。
記録によると、応仁の乱で焼失したこの傘鉾も、明応9年(1500)に再興されるが、幕末の元治元年(1864)の大火で再び焼失し、明治5年以降は全く途絶えていた。
昭和60年この傘鉾の本体が再興され、以来路上に飾るだけの「居祭」をつづけてきたが、昭和63年から巡行に欠かせないはやし物が復元され、32番目の山鉾として117年ぶりに巡行に参加することになったものである。
装飾
踊りとはやしは室町時代に京都から広まった風流踊りで、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケントウ踊り」を参考に復元したものである。その構成は、棒ふり2人と鉦・太鼓・ササラ各2人の計8人の子供で、大人のかげばやしに合わせて踊る。垂れは鈴鹿雄次郎製作の麗光鳳舞之図である。
- 住所:下京区四条通西洞院西入傘鉾町
- 鉾の重さ:0.40トン(巡行時。人、懸想品含む)8.41トン(山鉾装飾のみの重量)